大阪で少林寺拳法 〜 金剛禅総本山少林寺 大阪高槻道院

結構珍しい昭和40年代の科目表と教範副読本

Posted on 2011年02月25日

Yahoo!オークションなんかを何年も見ていると、少林寺拳法に関する色々なものが出品されていてなかなか面白いんですが、その中からでも結構珍しい品を幾つか紹介してみます(=゚ω゚)ノ

今回紹介するのは、昭和41年に作成された教範の副読本と、昭和43年の科目表等。

 

正統少林寺拳法教範1 正統少林寺拳法教範2 正統少林寺拳法教範3

まず最初に紹介するのは、昭和41年に作成された教範の副読本

教範というのは、開祖宗道臣先生がお書きになった指導者用のものすごい分厚い教科書なんですが、これは途中で何回か改訂され、最終的には今の二冊に分かれた改訂版で一応改訂が終了しているんですね。

で、ほとんどの人が持っている教範は、赤い背表紙のもので、僕が持っているのも赤い背表紙のもの。

これらの教範のタイトルは『少林寺拳法教範』と書かれてあって、ほとんどは1970年代に改訂されたもので、赤い背表紙のと茶色っぽい背表紙のがあるようだ。

そのさらに前の教範は、厚さが少し薄く、タイトルに「正統少林寺拳法教範」と書かれてある。これがものすごいレアな一品で、まず滅多に出物がない。

今回紹介しているのは、この「正統少林寺拳法教範」の中から、一部を抜粋して副読本とし、普段の稽古の学科の時間に使うためにつくられたもの。

中を読んでみると、確かに教範の抜粋らしく、今使っている読本よりもずっと細かい話が書いてあるし、面白いのは、結構「話し言葉」で書いてあります(^o^)

 

昭和43年発行の級拳士科目表1 昭和43年発行の級拳士科目表2 昭和43年発行の級拳士科目表3

次に紹介するのは、昭和43年発行の級拳士科目表

最近、20十何年ぶりかに科目表が改訂されて、縦書きから横書きになったわけですが、今回紹介している科目表は、前の科目表のさらに前に使われていた一品。

画像を見てもらってもわかるように、ものすごい年期が入ってます(・・)(。。)

 

大阪高槻道院のムネカズさんが、今大阪高槻道院に所属している拳士で一番期生が古い拳士になるので、もしかしたらムネカズさんが入門したときはこの科目表だったかも知れませんね(^o^)

中を見てみると、今では「腕十字固立合掌固」としか書いていない部分が、当時の科目表には、「逮捕術の腕の捕方と中国式の捕方と逃れ方。腕十字の捕方」なんていう風に書いてある。

入門して最初に習う技なのは変わってないのですが、そもそも「腕を捕るとは~」という流れから始まっているのが面白いヽ(゜▽、゜)ノ♪

 

三枚目の画像は、当時の三級の昇級試験科目になるんですが、当時の組演武には「阿羅漢第一系」というように組演武に名前がついていて、その後の二級一級とずーっと同じように組み演武に名前がついています(◎-◎)

ちなみに、二級ですでに居捕の技が出てきています。

 

昭和43年発行の有段者科目表1 昭和43年発行の有段者科目表2

次に紹介するのは、同じく昭和43年発行の有段者科目表

今の有段者科目表は、六段の羅漢圧法までが科目として掲載されていますが、この当時の科目表は四段までが載っていて、今の五段科目もほとんどが四段科目として掲載されています

 

当時の事情はよくわからないですが、おそらく当時は技術的には四段が一応の終着地点で、その後は道院長→自己研鑽、という世界だったんじゃないかなぁと思います(・・)(。。)

そういった意味では、今度の科目表は准範士六段まで細かく試験内容が制定されているので、昔よりはやらなきゃいけないことが多くなっているようです。

 

ちなみに、少林寺拳法の技術は改訂する度に幾つか無くなったりする技があるんですが、そんな無くなった技の一つに、二枚目の画像に載っている「二人抜」。古い先生はまだ覚えていらっしゃるので、興味ある人は古い先生をつかまえて聞いてみましょう(=゚ω゚)ノ

 

この時代の有段者科目表を見ていて思うことは、学科の部分が明らかに「金剛禅」が中心だと言うこと。

科目表の表紙には「社団法人少林寺拳法連盟」と「金剛禅総本山少林寺」が併記されているので、当時は今のように組織別の科目表があったわけではないと思うので、少林寺拳法は「金剛禅の主たる行の一つ」であることがよくわかります(・・)(。。)

 

現役道院長がこゆ事を言っちゃいけないんですが、当時の三段の学科試験の科目、お題だけ読む限りでは全くわからないのがいくつもあります( ̄▽ ̄;)

 

八段錦や、白玉峯の五拳ってなにさ( ̄▽ ̄;)!

 

昭和40年代に使われていた教典1 昭和40年代に使われていた教典2

最後に紹介するのは、昭和40年代に使われていた教典になります。

一見すると今入門したときに渡されれる教典と変わらないような気がするんですが、中身をよく見てみると、少し違う。

今は聖句の第一句目が「己こそ己のよるべ」となっていますが、当時の第一句目は

 

すべて悪しきことをなさず、善きことを実践し、自己の心を浄むること、これ諸々の仏の教えなり。

 

という一句になっています。

後は、まだ記憶に新しいことですが、信条の一文が

 

一、我等は、愛民愛郷の精神に則り、世界の平和と福祉に貢献せんことを期す

一、我等は、日本人として祖国日本を愛し、日本民族の福祉を改善せんことを期す

 

となっていました(^o^)

 

いやぁ、古い資料を読み解いていくと、なかなか面白い発見があっていいですねぇヽ(゜▽、゜)ノ♪

 

(北野)