格闘家にこそ”品位”が求められる
つい先ほど流れたニュースですが、朝青龍が引退するらしい。
—–
【大相撲】朝青龍が引退表明 場所中の暴行騒ぎで
2010.2.4 15:14 産経ニュース
https://sankei.jp.msn.com/sports/martialarts/100204/mrt1002041514006-n1.htm
日本相撲協会は4日、東京・両国国技館で理事会を開き、横綱朝青龍(29)=本名・ドルゴルスレン・ダグワドルジ、モンゴル出身、高砂部屋=が引退を表明した。
—–
朝青龍が引退するきっかけとなった一般人暴行事件については、散々テレビでも報道されているのでここでは詳しくは書きませんが、「色々迷惑をかけた」ということで今回引退することになった。
元横綱審議委員会委員の内舘さんや、漫画家のやくみつる氏が常日頃言っていたように、朝青龍には横綱としての「品位」に欠けていた、というのは、相撲のことをよく知らない人でも、なんとなくは感じているのではないだろうか。
朝青龍の「品位」を問われた行動は色々あるけれども、いくつか例をあげてみると、
・優勝を決める一番に勝った時にガッツボーズをした
・怪我をしていると休場していながら、モンゴルでサッカーをしていた
・取材に来ていた報道陣に対して、「死ね!このヤロー!」 と暴言を吐いた
・泥酔して一般人に暴行した
などなど、伝統を背負って立つ大相撲の「横綱」としての振る舞いとしては、やはり内舘さんややくみつる氏が言うように「品位」があるとは思えない行動ではある。
でも、強かった。強すぎたために、結果を求められる世界では、誰も歯止めがかけられなくなった。
本来は部屋の親方が「伝統・品位」とはなんぞやを教えるべきだったのだけれども、朝青龍に金銭面を含めて頭が上がらなくなっていたため、やはり親方も朝青龍を止めることができなかった。
■参考■
【朝青龍引退】朝青龍の不祥事アラカルト
2010.2.4 15:17 産経ニュース
https://sankei.jp.msn.com/sports/martialarts/100204/mrt1002041518009-n1.htm
■格闘家のサガ■
格闘家というのは、「格闘する技術を持って相手を倒し、勝負に勝つ」というのを目的としている。
格闘技に限らず、スポーツという分野すべてに「勝ち負け」という目的があり、どうしても「勝つ」ための手段や技術を追求し、「勝つ者」が偉いという風潮がある。
この格闘家の「品位」という問題は、非常に根が深い問題で、相手に敬意を払って勝負している格闘家も中に入るけれども、その考えとは真逆の人間も中にはいる。
昨年の年末に放送されたDynamite!!2009で、まさに「格闘家」として最も「品位のない行動」をとった選手がいる。格闘家の青木真也だ。
■青木真也にみる格闘家の「品位」■
青木真也という人物について、僕はDynamiteやK-1を見たりしないので全く知らなかったけれども、彼が取った行動があまりにも品位に欠けていたので、
Dynamite!!2009の放送後あちこちでかなり話題となった。
その内容について書かれた記事を引用してみると、
—–
記者も激怒し記事をカット! ”腕折り”格闘家・青木真也に現場からも批判噴出中
2010年01月15日08時30分 / 提供:日刊サイゾー
https://news.livedoor.com/article/detail/4549547/
大晦日の格闘技イベント「Dynamite!!」で、魔裟斗の引退や石井慧の敗戦よりもファンを騒然とさせたのは、青木真也の暴挙だった。
青木は、廣田瑞人との試合において関節技で相手の腕を折り、倒れた廣田に中指を突きたて、さらに腕をブラブラさせて折られた相手を馬鹿にするパフォーマンスを行った。試合後は「躊躇なく折りにいきました。前にも折ったことがあるんですけど、その時はアクシデント。でも今回は折りにいきました」と確信的に負傷させたとコメント。とてもスポーツとは思えない光景だった。
—–
要は、「わざと腕を折りにいき、負傷して立てなくなった相手に対して、中指を立てて侮辱した」ということだ。
文字だけで書くとイメージがつかめないかも知れないので、実際の映像を紹介してみると、
上の映像を見てもらえれば、僕が今書いている格闘家の「品位」について言いたいことがとてもよくわかると思う。
勝負に勝つために何でもありで突き進んでくると、対戦する相手に対する敬意というものは失われ、例えショーとして行われている試合であったとしても、このような行動に出てしまう。
格闘家にこそ”品位”が最も求められるのだ。
■少林寺拳法も「格闘技術」であることは忘れてはいけない■
振り返って少林寺拳法はどうかと言えば、絶対に忘れてはいけないことは、少林寺拳法の技術は間違いなく「格闘技」の一種であること。
青木真也の用いた肘を折る技術というのは、形こそ違えども少林寺拳法の技術の中にも確かに存在しているし、入門して三ヶ月もすると、その技術に関わる技を教わる。
少林寺拳法の稽古は和気あいあいとしていて、格闘技としての緊張感に欠けるところは確かにあるけれども、和気あいあいとしているからといって、格闘技としての技術が安全で絶対怪我をしないかと言えば、そんなことはないんです。
だからこそ、少林寺拳法を習う拳士に対して「本当の強さ」とは何かを常日頃説いているわけだし、「何故その技術が有効なのか?」という技の理屈を教えるんです。
少林寺拳法で教える「技の理屈」というのは、相手を効率よく制するとか、自分の技の冴えを身につけるために勉強することも大事だけれども、それ以上に僕が大事だと思っているのは、「どこまでやれば怪我をさせてしまうのか」というのを知る為に、勉強すべきだと思う。
技術の修練を通じて、「身体で痛みを覚える」ということは、別の言い方をすれば、「自分がされて嫌な事は、相手にはしない」という意識を身につけることであるし、「本当の痛み」を知らない事には、「どこまでやれば相手が傷つく」というのを知らないのと同じ事になる。
少林寺拳法は突いたり蹴ったり、ぶん投げたり、まぁ色々やるんですが、その先にある考え方というのは、「自分がまず痛みを知り、そして人の痛みをわかり、それを繰り返すことで、どうしたら相手と人として上手く付き合っていけるか」という事を学ぶ事にあるんです。
少林寺拳法が単なるスポーツや武道ではない、と言っている理由はここにあります。
格闘家に求められる「品位」とは、相手のことを思いやれる気持ちであり、自分だけの強さを求めることではないということを、あらためて考えさせられた、朝青龍の引退でした(-人-)合掌
(北野)